院生のための算数入門(8) 線形代数の概略

[mixi 2007-07-11]

線形代数(線形数学)と微積分(解析)が,大学教養の数学の2本の柱ということになってから,もう長い.

このうち,微積分は昔からある.あやしげな高等代数学だの三角法だの解析幾何だのを整理して,線形代数というかたちを作ったのが,戦後の「現代化」のポイントであった.

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線形代数の前半では,次元とか基底とか,線形従属・線形独立(1次従属・1次独立)というあたりが,主役である.

算数の「比例」を多次元化する,というのがことの本質だが,多次元になると「向き」ということが出てくる.また平面と直線の違いとか包含関係とか,そういうことを考えなくてはいけない.

(1,0,0),(0,1,0),(0,0,1)
でも
(1,0,0),(1,1,0).(1,2,2)
でも,実数の係数(マイナスも含む)をかけて加えれば,どんな3つの数字の組でも作れるが,
(1,0,1),(1,1,0),(3,2,1)
だと駄目である.それは(1,0,1)に(1,1,0)の2倍を加えると3番目の(3,2,1)になり,3つあるようにみえても,独立なのは2つだけだからだ. 

・・というようなことを組織的に考えるのである.

最初の2つの3つ組は3次元空間を張る基底になるが,最後のは2次元空間(平面)を張る基底にしかならない,というような幾何学的な解釈もできる.

ふつうの幾何だと3次元までだが,前にやった塩水をまぜる問題などでは,薬品の種類をふやせば次元は4とか100とか増えていく.「神経パルスに微小な雑音を加えたときの安定性」だと,微小な雑音の加え方には沢山種類があるから,これは無限次元,1000通りくらい考えればよいとすれば1000次元の問題である.

N次元空間という概念を抵抗なく使えるようにするというのも,線形代数の目標のひとつである.

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線形代数の後半の主役は「固有値」「固有ベクトル」である.

昔の本だが,山内恭彦「物理数学」(岩波書店,同じ著者の「物理数学へのガイド」とは別の本)では,乱視用のめがねを例として固有値の概念を説明していた.

乱視を矯正するレンズは縦横の倍率が違うが,縦軸,横軸は上下左右に一致するわけではなくて傾いている.それを検査ではかって,めがねを作るわけである.この傾いた軸の方向が固有ベクトル,縦横それぞれの拡大率が固有値である.

固有値の概念のすごいところは,とんでもなく違う分野でそれぞれ鍵となる役割を果たしているところにある.

たとえば,データの散布図がぼやっと一塊に散らばっているとき,散らばりの大きい方向への射影を考えれば,高次元のデータを少数の数値に要約できる.これは共分散行列の固有ベクトルのうち,固有値の大きいものへの射影を求めることに相当する.主成分分析(PCA)である.

前に述べた「ドアの問題」は,2階の線形常微分方程式になるが,これは2変数の1階の方程式に直せる.このときの右辺の行列の固有値が実か虚かで,ドアが行きこしてゆれながら閉まるか,すーっと閉まるか決まる.いまの場合,固有値はある2次方程式を満たすので,その判別式で決まることになる.

建物の「固有振動」は固有ベクトルとして決まる.この場合の行列は,たとえば,建物の骨組みを1000個の点で表現した場合,1000次元の行列になり,1000個の固有値,固有振動がある.

乱数を使ってシミュレーションをするとき,時刻t+1の状態が時刻tでの状態と次の乱数の値だけによるとする(マルコフ連鎖モデル).このシステムの挙動も,時刻tから時刻t+1への変化の確率をあらわす行列の固有値問題で定まる.

もちろん,純粋数学のさまざまな分野でも固有値の概念は不可欠である.

いまの皇太子妃が決まったとき「固有値問題を理解しているはじめての皇后」になるという冗談があったが,固有値の概念はある意味で「近代」にとって必須のものであり,かつ,15年間あまりの「教養としての算数・数学」のフィナーレである.

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「大学教養数学の現代化」の申し子であり,象徴である線形代数(線形数学)であるが,はっきりいって,教育としては失敗しているのではないか.

多くの人が,大学1〜2年での線形代数は意義がよくわからなかった,専門課程で自分の専門にあわせた形で勉強してはじめて理解できた,と述べている.

自分の専門にあわせた形,というのは,物理だと量子力学というのが多いが,おそらく電気なら電気回路,建築なら構造計算,社会科学なら回帰分析や主成分分析,ということになるだろう.

それでいいのだ,ということもできるが,もともと「分野を横断して存在する構造」として「線形構造」を取り出すのがミソであったということを考えると,結局はどれかの分野に即してしか理解できないというのは皮肉である.

「分野横断的」な工学教育とか科学教育とかいうことがいわれているが,まず,科目としての「線形代数」の現状を見直す,というあたりから考えるのが妥当かもしれない.