考えるレベル

[mixi 2006-10-13 最終段落を削除]

「情報統計力学を×××に応用する」という案に,そんなのにだまされてはいけない,とコメントしたら,どういう意味でいけないのか,と聞かれた.どの部分がよくないというより,そういうレベルで考えるのが間違いなのではないかと思うのである.

情報統計力学も×××も基本的には政治的な主張で,はっきりひとつにまとまった実体があるわけではない.そういうものは,バイオインフォマティクスとか経済物理とか,ほかにもたくさんあるが,そういういわば虚構の概念の順列組み合わせで思考しても,意味のある結果には到達しがたいのではないだろうか.

大人の世界では政治的主張も必要なので,それらの概念そのものが一概に悪とはいえないと思うし,会議や雑誌に投稿したり就職口を探す場合にはまさにそうしたレベルで思考する必要があるが,研究の内容に関しては,もっと上位のレベルで考えるか,さもなければもっと具体的なレベルで考えて,途中の余計なものは飛ばしてしまったほうがよいと思う.

「上位」というのは階層としては抽象化でも内容はより具体的でありうる.たとえば「ベイズ」とかいう概念で考える代わりに,「一個の最適なものでなく広がった集まりを考えることが意味を持つ場合にはどういうものがあるか」とか「一個の集計量を求めるのではなく,個体差や非一様性を扱えるような統計学の方法論を考えたい」とか「モデル作りの際に生成過程から考えることの有利さと不利さ」とか考えたほうが有益だろう.これらはすべて違ったことであり,それぞれ別の広がりを持っているが,漠然と「ベイズ」ということばで考えれば,それらの含蓄はすべて消えてしまう.

最終的には,研究というのは「このモデルでこの対象を表現してみたい」とか「このモデルをこの方法で扱いたい」「数値実験でこの量を測定したら何が見えるか」というような具体的な作業にまで落とし込まないと実行できないので,いつまでもメタなこと,概念的なことだけをいっていて,手がおそいのではだめである.その意味では部分も全体も両方大事なのであるが,「中間層」は自然に自分で考えだすべきではないだろうか.既成の中間的概念に頼り,そのレベルで思考することは,他人のことばに魂を売るということではないか.