作文男の日米戦争

[mixi 2008年-01-27,再掲時に修正・誤字訂正]

日米開戦になだれこむ時期の日本の国策は,ごく少数の人間が書いていた.

その一人が,石井秋穂中佐である. 

小学校から神童といわれて,当時の職は陸軍省軍務局高級課員,ちょうど1900年生まれだから,40歳前後だろう.

書いていた,というのは決めていたわけではない. しかし,なにか企画をするときは,企画書・趣意書を誰かが起草し,皆のチェックを経てそれを修正して,最終的な案文にする.その起草者が彼だったのである.

* * *

書くときに考えることは,科研費の書類や研究計画書も同じようなものである.会社に勤めたことはないが,会社に出す企画書や稟議書も同じようなものだろう.

しかし,石井の書いていた内容は空恐ろしいものである.

そもそも対米戦というようなことが,はじめて文書になったのも,皆で行った料亭で石井が上司の武藤から起草を命じられた文書に挿入された「対米戦を考慮する」という文言だったという話もある.

また,「中国から撤兵するとどのような不利益があるか上奏するから文章にまとめよ」といわれれば,ただちに作文して差し出すのである.

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石井の最大の仕事は,首相が東條に変わったとき,すべてを白紙から再検討せよ,という昭和天皇の命令にしがって「日米開戦すべきか」のチェックリストを作成したことかもしれない.

「戦争するかどうか」「日米交渉にどう臨むか」を偉い人が集まって,会議をするのである.その議題リストを石井が作成する. 戦争をするとすると,何が問題で何が心配か,しないとすれば,どういう問題が起きるか.これを箇条書きにまとめていく.

「来年3月まで開戦を延期したらどういう利益・不利益があるか」
「人造石油で石油の禁輸に対抗して戦争を回避できないか」

そういう項目をすべてとりまとめ,「これで全部です.落ちも漏れもありません」と差し出すのである.

恐ろしい仕事である.徹夜の朝がしらじらと明けると,防空壕の前に娘の三輪車が倒れていたという.

「人造石油」がだめだというのは石井はすでに知っていたが,そこから何か石油の代替案の議論が出てくるかと思って,挿入したという. 文官の側で,必死に人造石油の調査をして,「残念ですが無理でした」と石井に匿名の電話をしてきた人がいるそうである.

だからといって,石井が和平派だったわけではない.また仮にそういう気持ちがあっても,それは作文男には許されない私情なのである.平和も戦争も願うことは許されないのだ.

しかし,会議が紛糾してから「落とし所」を考えたのも石井である.

即開戦決意・偽装交渉を唱える強硬派を抑えて,作戦上好都合な冬までの期限付き交渉とそれと並行しての戦争準備,という「絵」を描いたのも武藤を介しての石井の案であった.

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その線で会議がまとまったあと,次の石井の仕事は,「開戦名目案」,すなわち「戦争の企画書」の作成である.

交渉が決裂して,開戦ときまったときは,「なぜ戦争をするのか」を世界に発表しなければならないが,その論理を作文するのである. 

そんなのを「誰か」が書いているとは思えないかもしれないが,「太平洋戦争の企画書草案」は石井と海軍の藤井茂の共作であった.

まずは,キーワードを並べる.

自存自衛,国家の存亡,世界平和の願望,東亜解放,資源の偏在化反対.

「語呂合わせみたいになるが,ABCD包囲網で孤立した帝国が自存自衛のために決起する,それに付随して大東亜共栄圏の確立と新経済ブロックの建設,それが世界平和を生み出すという流れでまとめるのが無難だな」(引用元は文末の本)

なんか,普通のプレゼンの準備してるのと変わらない・・

「やはり支那事変から事態の描写をはじめなければならないのだから,そこへ焦点をしぼったほうがいいのかもしれん. (そうすると) ・・とつなげていくのがもっともわかりやすい脈絡だ」

モチベーションの説明に,歴史的なことをもっといれるように提案しているらしい・・

こうして,日本がなぜ米英と戦争をするのか,わかりやすい説明文が完成.

書き上げて,ところで,みんなはやはり戦争をする方向なのかなあ,と話し合う作文男2人.

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次の仕事は,この戦争がどう終わりになるのか,どのような「終了条件」を目指して戦争をするのかの作文.

帝国陸軍は戦争終結を考えずに戦に踏み切るほど愚かではない」 (by武藤)

再び悩む作文男たち.

「どのような状態が戦争終了時として望ましいかをまず明確にし,そのあとに至る経過を書くべきだろう.そうすればこの戦争の意味合いが明らかになるし,日米の戦力比の伸び具合に応じての戦争終結の方針がかたまるはずだ」

というので,またがんばって作文.

驚くのは,「軍部」の中枢にいるはずのこの2人,戦争になったらどんな作戦をやるのか全然知らされていないということ.大日本帝国の仕組みでは,それは「統帥」なので,参謀本部の仕事で陸軍省海軍省は口出ししてはいけない.

それでは書けない,というので,戦争終結の作文のために最低限の作戦を教えてもらったとか.

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石井はこの途中で,大佐に進級. サイゴンに赴任するはずが,重要な仕事の最中ということで,東京に残留. 

一説によると,石井が東京に残ったのは,「交渉妥結 開戦せず」になったときの仕事があったからだと.

その場合,こんどは一転して,「なぜ戦争をしないのかという説明」「開戦しないとなったときに至急検討するチェックリスト」を書く人が必要になる.

それを書く最適任者は,経過を熟知している作文男に他ならない.

* * *

11月25日,石井にサイゴンへの赴任命令発令. 26日が最後の勤務.

翌27日,日米交渉は事実上決裂.12月1日御前会議で開戦決定.8日開戦.

明朝サイゴンに飛ぶという26日,武藤は石井を呼び 「国策の大本に従って仕事を消化していく.それだけでよかった.それが本当の任務だった・・」 と褒める. 

作文男はその労を認められたのである.

* * *

以上は

陸軍省軍務局と日米開戦」 保坂正康 中公文庫

によった.

この本は,ノンフィクションと銘打たれているが,小説的な部分がかなりあり,上記の会話など(発言者が書いていない「」の中は石井ではなく藤井の言葉ということになっている)も,文書からの引用ではなく,石井秋穂氏へのインタビューなどから,再構成ないし創作されたものである可能性がある.

史書として全面的に信じてよいのかどうかはよくわからないが,「作文男」についての現代文学としても読めるかもしれない.

戦後,石井秋穂氏は戦犯に問われることはなかったが,「作文男」としての自らを裁いて,一切の出世を拒み,隠棲して農耕に従事したという.終戦時まだ45歳ほどであった.平成になってから,95歳で死去.

NHKスペシャル「御前会議」 石井氏の写真あり.
http://www.tante2.com/nhk-gozen-kaigi2.htm

上のリンクから

石井秋穂氏談
あれは(藤井茂中佐)優秀ですよ。一番優秀。
藤井がいわく、「ええか、これがな(南部仏印進駐)、南進の限界だぞ、これ以上はもう人が何ちゅっても抑えようぜ」。わしは同意や、同意。

南部仏印進駐で戦争になっちゃったんですが・・

保坂氏へのインタビューはここ
http://www.bunshun.co.jp/pickup/shouwashi/shouwashi02.htm